コトノハ的散文とは。
ライター・田中トモコの想うこと、好きなもの等を形式にこだわらずに書き留めた散文です。
私は小学生の頃から、国語の試験勉強というものをしたことがありません。受験の時でさえ、です。
文章の言わんとすることを汲み、さらにそれを他の言葉に変えて伝えることが誰に教えられた訳でもなく私は好きでした。
作文。読書感想文や詩。
言葉を綴って楽しかったり、せつなかったり。
文章は、自分なりの小宇宙ですら作ることができるのです。
よく私の書く文章は、クラスのみんなの前で披露され、私は何だかくすぐったい気持ちになっていました。
暗い性格という訳でもなかったですが、
自分の感情をストレートに出すことが苦手な人見知りだった私にとって
文章を書くことは、頭の中の引き出しの中の単語や熟語をひっくり返し
て整理して、お行儀よく並べる作業のような感じでした。
ただ、その結果、綺麗事を並べるつもりはなくても、
そんな私の文章は、時に「いい恰好しい」な文章だと取られ、雑な悪口で、
残念な気持ちにさせられ、何でそんな風に雑な言葉がでてくるのだろうと、疲れてしまうこともありました。
だから、このsalon-cotonoha.comでも、本名で文章を書くということに全く戸惑いが無かった訳ではありません。
「提案」なんかして、「どうして貴方にそんな風に言われないといけないの?」
と思われないかということとか、
自分が発信者として、安定したココロとカラダでもって、こうしてみませんか、と提案とかしていけるのかとか、
ちょっと「えらい所に足を踏み入れたもんだ」という気持ちもあります。
それでも、こういった、言わばメディアを育てていくということは、
不安よりも「ワクワク感」の方が優位に私に働きかけてくれました。
これから新しい冒険に出かけて、新しい発見をして、
時には、振出しに戻ったりもしながら、何かモノを創っていく。ということは、
自分の体感時間を遅くしてくれるような気持ちもあります。
人生経験が増えれば増えるほど、体感時間は速くなっていきます。
子供のころ時間が長く感じたのは、経験値が少ないために、何もかもが、新しい出来事だから。
大人になると、経験済みなことが多くなって、時間も早く感じます。
体感時間を遅く濃厚なモノにしようと思ったら、新しいことを始めるのが手っ取り早いのです。
不安要素があることまでして、体感時間を遅くしたいのかと言われると、
何て答えていいのかわからないところもありますが、単純に体感時間を遅くすることが目的ではなく、
遅いと感じるぐらい、長いと感じるぐらいの充実感を味わっていたいと思うのです。
その為の手段としてあったのが、文章を書く事でした。
今、
私に、文章を書く場所を作る勇気を与えてくださってる全ての人に感謝しています。
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